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文房四宝

 先日大掃除の折に押入れの隅から墨が出てきた。ずいぶん前に中国に旅行に行った際に国営お土産物店でエイヤ!と買った高級墨だった。人に上げるのが忍びなくて仕舞い込んでいたらしい。
 文房具とはものを書くための道具を総称する言葉で、「文房四宝」というと筆・紙・硯・墨のことになる。筆記具が宝の地位を持っているとはさすが中国文化。私もお宝を大切に仕舞い込んでいたわけだ。
 さて中国の文字も日本の文字もこの四つの宝で書かれてきた。漢字・カナの書体や字体はこの筆記具が長い時間をかけて育ててきたものだ。「払い」「筆押え」「肩うろこ」など、漢字活字の部分名称はみな筆使いから生まれてきている。
 お習字の記憶を思いだそう。筆でカギを書く場合、角で一旦筆を止め、少し筆を持ち上げ、筆先をリセットしてから下に書くときれいに書ける。これが明朝体で角に力点がつく所以だ。
 さて筆記具は明治以降大きく変化した。最初は鉛筆や万年筆の登場だろう。中学の入学祝いに万年筆をもらった時、英語向きのペン先と日本語向きのペン先のどちらにするか迷った記憶がある。丸みを帯び連続して書くアルファベットと一点一画きちんと区分けをして書く漢字とでは万年筆のペン先に求められる特性が異なってくる。異国の筆記具を自国の文字に合わせて改良した日本のお家芸的ケースといえるかも知れない。
 そうこうするうちにボールペンが徐々に身の回りに普及しはじめてきた。このボールペンも日本製のものは細字であり画数の多い漢字も楽に書ける。外国製品となると太字で滑りがやたらに良い。良すぎて角張った字は書きづらい。
 ボールペンが筆記具の主流になってしばらくしてから「変体少女文字」という丸文字書体がマスコミを賑わした。当時の中高生の女子が好んで使うのでこんな名称が生まれたが、当時成人していた私も日常は丸い文字を愛用していた。この丸文字はボールペンが生んだ文字だ。ボールペンで四角張った文字を書くのは本当に難しい。
 この丸文字の少し前にガリ文字というものもあった。ガリ版が生んだ独特の書体だ。細かいでこぼこがあるヤスリの上で文字を書くのはちょっとした修練が必要だった。原紙の青い桝目いっぱいに文字のふところを大きく取り、ヤスリ方向の部分が長くなるよう文字をデフォルメして書くのがコツだったように記憶している。簡易印刷術が生んだ書体というケースだろう。
 以上は個人史の中で確認できる筆記具の変化と字体や書体の変化だが、ものの本によると古代メソポタミアでも事情は同じらしい。
 楔形文字は粘土の上にヘラの先を押し付けて文字を書いた。しかし古代メソポタミアの文字が最初から楔形であったわけではない。最初の文字はやはり象形文字だった。象形文字だから曲線もあれば直線もある。粘土に線を引くと粘土がめくれてバリが出てしまう。粘土という媒体は線を引くより型を押したほうがきれいで能率がよい。徐々に合理的な方向に字形が変化して我々の見ているような楔形の文字になったといわれている。粘土という紙が筆と書体を変えたというわけだ。
 文房具が書体を変える、書体の変化は字体の変化を招く。それではコンピュータで文字を書く現代はどうだろう。手で文字を書かない時代!!これは多分人類はじまって以来の大変化である。
 現代の文房具――パソコンというお宝は文字をどんな風に変えていくのだろうか。コンピュータと文字の論争もこんな視点から見ると夢がある。
『情報管理』Vol.42 No.2 May. 1999 より転載

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