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ページという仕組み
最近、電子化書籍の携帯ビュア構想がいろいろ打ち上げられている。液晶画面に書籍を映し出し、ボタンでページをめくるという仕組みである。その中のひとつに液晶2枚を使って見開き2ページを表示するという構想もある。マンガなどの表現は見開きでデザインされているから、ビュアも見開きでなければいけない――こういうことらしい。
紙の本では目次や索引からページを引くとか、見開きもしくは1ページ読み切りでまとめられた編集など、ページという概念は馴染みが深い。このページという機能には該当個所を探し出す検索の仕組みという面と、編集やデザインの単位という面の二つがある。 さて、パピレスや紙に文字が記述されて以来長い間、人類にとって書物は巻物の形をしていた。巻物には「巻」という単位はあっても「ページ」という単位はない。 西洋で冊子という仕組みが登場したのは羊皮紙が登場してから、年代的には2〜4世紀ころといわれている。ページという概念も冊子体誕生とともに生まれたと思いがちだが、不思議なことに人々が明確にページという単位を意識し始めたのはずいぶん後になってからのようである。 ページ単位でのレイアウトが本格的に始まったのは15世紀末、グーテンベルク登場から約半世紀を経た『ニュルンベルグ年代記』とされる。この『年代記』のレイアウトは現代の本としても高い評価が与えられるであろう素晴らしい完成度であり、ページ編集の元祖といえるだろう。 ところでこの本の冒頭には索引が付けられている。しかしこの索引に記されている数字はページ番号ではない。フォリオナンバーといって紙の1葉1葉の単位で連番を振ったものが使われており、1枚の紙の表と裏で1つの番号となっている。現在のようなノンブルがページ単位に振られるのはもう少し年代が経ってからである。 ページを基本とした書籍編集はどうやら15世紀末から16世紀初頭に確立したということになる。ページ編集は500年の伝統に培われた、書籍の大切な基本要素といってよいだろう。 小説や専門書など文字中心のものでも、章の始めでは「改ページ」といって必ず新しいページから始め、扉や編などでは「改丁」といって奇数ページから始めるなど、書籍表現とページは不可欠に結びついている。 本題に入ろう。ここでの問題は電子化された書籍、つまり画面上でのページはどうなるのだろうかということだ。 パソコンの画面で文章を読ませる場合、現在一般的なのはスクロールであろう。つまり「巻物」として文章を扱っているわけである。紙媒体における巻子本から冊子体への進化が、パソコンの登場で一挙に先祖帰りをしたかのようだ。 電子化書籍では索引や目次のための「ページ」は検索やリンクで紙より効率的に実現できる。したがって問題となるのは紙の本でページが果たしてきた編集デザイン上の仕組みをどうするかだ。 エキスパンドブックのように、本のメタファーにこだわり、スクロールを排しページ切り替えに徹するものもあるし、冒頭で紹介した見開きの電子出版ビュアというような構想もある。しかしこれらの試みについては少々疑問が湧いてくる。紙の本を忠実になぞることが果たして電子出版なのだろうか? 紙媒体のページでもなく現在の電子的巻子本でもない、新しい媒体に適した新しいページという仕組みが必要なのだと思う。(以下次号) |