電子出版のデスクトップ 1

蝋板とスタイルス

 私のディスプレイのデスクトップに1枚の古い壁画が掛かっていたことがある。古代ポンペイの遺跡で発見された若い女性詩人の肖像画である。年のころは20代前後であろうか。
 澄んだ大きな目でこちらを見つめる彼女は、左手に蝋板を持ち、右手に持ったスタイルス(鉄筆)を唇にあてている。口からほとばしる思いをスタイルスに伝えようとしているのか、それとも口に出してはいけない思いをスタイルスで押しとどめようとしているのか、なかなか魅力的な肖像画である。
 当時は情報を載せる媒体はパピルス、筆記具は葦のペンということになっている。しかし高価なパピルスは清書のために使われ、下書きや草稿は、蜜蝋を木の枠に平らに固めた「蝋板」の表面に、先の尖ったスタイルスで書いていたらしい。
 スタイルスの反対側の端は平らになっており、間違った箇所の蝋を削りとれる。消しゴム付きの鉛筆の元祖だろうか、なかなか便利そうである。この蝋板とスタイルスの組み合わせは古代から中世へ、パピルスの時代から羊皮紙の時代に至っても使われていたという。
 人類は太古から紙に向かって詩作を練ってきたわけではない。それはある時には蝋板であり、またある時には粘土板であったはずだ。
 でも、とかく人は今と同じことが連綿として続いてきていると考えがちだ。かれこれ10数年前ワープロが世に出たとき、万年筆と原稿用紙が文学を支えているともとれる主張、だからワープロでは文学は成立しないという主張を多く耳にした。
 万年筆の発明も原稿用紙というものが出来たのもつい最近の話であり、文学がそんなに短い歴史の産物だとは思えない。が、当時はまじめに論議があった。
 でも今は文芸家協会がワープロで出ない文字があることを真剣に論議*している。皮肉な見方をすれば、ワープロは10年もたたないうちに文学も可能にするほど進化したわけだ。なに別段ワープロが大きく変化したわけではない。単に使ってみるのに時間がかかっただけのこと、社会的習慣が変化するには時間が必要という話である。
 それはともかく、蝋板とスタイルスは今をときめく電子本ビュアやPDAというものにたいへんよく似ている。Newtonやザウルス、最近話題のRoket Book*や電子書籍端末*を、古代ポンペイの彼女に持たせても何の違和感もないだろう。蝋が感圧式の液晶になり、スタイルスがプラスチックになっただけで大きさも形も、使い方までそっくりだ。
 携帯端末に向かって詩作をねる女性詩人、そんな光景がポンペイの壁画の詩人のように不思議でないなら、そんな機器で読書をする光景も言われているほど不思議ではないだろう。
『情報管理』Vol.42 No.1 Apr. 1999 より転載

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