あけましておめでとうございます。
新年のご挨拶にあたり、JEPAの会長として「生成AIの急激な進展により世の中の全てが変化の途上にある。そして(電子)出版が受ける影響の度合いは世の最右翼であろう、そこで我々は…」的なことを書くべきと考えました。
しかし、私には分不相応なテーマゆえに書き進めては行き詰るのを幾度か繰り返し、諦めて違うことを書こうと思った矢先の2025年元旦にNOTEで公開された翻訳家・平野暁人氏による一文に出会いました。
バズっている気配もあり、お読みになった方もいらっしゃるかも知れません。
私も深く共感し、この文章を引用しながら書いてみようと思いました。
『もうすぐ消滅するという人間の翻訳について』
平野氏の文章は「ひとつの翻訳が、終わった。この世界に存在していた翻訳のひとつがいま終焉を迎えたのだ。2024年末現在、僕の手元にきている来年の依頼は0件。」という衝撃的な言葉で始まります。
これはコロナ禍と長く続いた不況の末の円安がもたらした事態でもあるが、「ルールベース翻訳」「統計的機械翻訳(SMT)」「ニューラル機械翻訳(NMT)」を経て登場した生成AI翻訳が決定打となり、翻訳の依頼は加速度的に減り続けている。2024年末の時点で「機械翻訳は人間から仕事を奪うか」という議論は既に熱を帯びていない―答えは出たと感じている人が増えたからか、と平野氏は記します。
生成AI翻訳はいまだ優れた翻訳者の域には達してはいません。しかし「貧困に煽られたコストカットの誘惑と、タイムパフォーマンスの強迫」がクライアントの、ひいては読者の翻訳に対する要求水準を引き下げている現実が語られます。
さらに、ChatGPT自身が平野氏にこう説明したとのことです。
「私は大量のデータからパターンを学習して、広く受け入れられる言語の使用法や表現を選ぶことに特化しています。そのため、私が生成する文章は、一般的に「自然で理解しやすい」という特徴がありますが、個性的なスタイルや意図的な難解さが求められる場面では、物足りなく感じられることがあります」
つまり、生成AI翻訳は「情報に還元されない言表行為とその産物、すなわちひとつひとつの語の選択や文体それ自体をも価値として発せられるテクストのアイデンティティを真っ向から殺しに来る存在」である、と平野氏は述べます。
ここまでが「生成AIの急激な進展による負の影響」―それは翻訳者の職能のみならず、これまで翻訳大国たる日本の読者が享受してきた翻訳書の読書の質をも脅かしている―の話です。
ここまでの冷徹な観察と分析も見事と感じましたが、私が魅了されたのはその後の意表を突く展開でした。
まず平野氏は「言語帝国主義」に言及します。かつてはフランス語、そして現在は英語が「共通言語」として君臨し、他の言語・文化を圧迫しています。
しかし、生成AIが進化し、あらゆる言語間の翻訳が瞬時に可能となれば、この言語帝国主義が相対化され、多言語が平等に扱われる未来が訪れるかもしれない。そのとき「類まれなる言語を話す人も ありふれた言語を話す人も 誰もが自由に自分の言葉で発信し 誰もが自由に自分の言葉で受信し そうして誰も誰かの言葉へと踏み込んでゆくことなく 自在なやりとりに安んじる時代」が訪れるのではないか。
これは「あどけない夢の話」である、としてこの一文が結ばれます。
厳しいという言葉では足らない絶望的な状況においても(もしかしたらそういう状況であるからこそか)、翻訳という営為の本質と意義―言語の壁を越えた人々のコミュニケーション―を見失わず、また、技術を敵視ないしは無視することなくそこから生まれる全く新しい展開、希望を見出そうとする筆者の姿勢に私は心を動かされました。
私の本業である医学論文情報の検索サービスも、生成AIによる決定的な影響を受けるでしょう。
JEPAの会員の皆様もそれぞれの業種、仕事において、濃淡はあれども生成AIの影響を免れることはないでしょう。
そんな私たちにとって、平野氏のこの姿勢には多くの示唆があると感じた次第です。
最後になりますが、2024年、34回を数えるJEPAセミナー、「JEPA委員会に入ろう!」企画(インタビューによる各委員会の紹介)、「JEPA技術展」「学校デジタル図書館」構想の検討、そして年末の電子出版アワードの発表会と「電子出版放談会」と、JEPAでは活発な活動が展開されました。
これらの活動が皆さまが抱える様々な課題の解決に少しでも資するところがあったのであれば幸いに思います。
そして活動を支えてくださった理事および各委員会の皆様に心より感謝申し上げます。
本年も、日本電子出版協会へのご理解とご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。