「JEPA委員会に入ろう!」の第5回は広報委員会です。その中で、ebookpediaという辞書コンテンツについて実施経緯を説明しました。「キーパーソン・メッセージ」の場をかりてこの企画の背景にある考えを紹介いたします。
■『三体』から『沈黙の春』へ
世界的なベストセラー(2019年時点世界累計2900万部)となった劉慈欣のSF巨編『三体』が今年、2024年3月21日から、Netflix版で公開されました。すると米国で、小説『三体』と同時に『沈黙の春』が、amazonのベストセラーに名を連ねたのだそうです。
『沈黙の春』は1962年刊行の書籍です。レイチェル・カーソンのこの著作は、巻頭に「未来を見る目を失い、現実に先んずるすべを忘れた人間。そのゆきつく先は、自然の破壊だ」というシュヴァイツアーの言葉を掲げる、環境破壊告発の書です。こんな60年以上も前の本が、どうしてベストセラーとなったのでしょうか。
Netflix版『三体』の第一話は1966年からの中国文化大革命を舞台に始まり、実は第一話後半に『沈黙の春』が登場、ストーリー全体の契機となっていきます。しかもドラマ全8話の中に、「(Here again,)we are reminded that in nature nothing exists alone.|自然界ではすべてがつながっている(ことが、ここからもわかる)」という『沈黙の春』の一節が繰り返し登場人物の口から出てくるのです。まるで通奏低音のように。
こうして、それまでカーソンの名も、本のタイトルも知らなかった人が、Netflix版『三体』を観、繰り返される一節に導かれるようにamazonで本を買う現象が頻発した。それで『沈黙の春』がひと月もしないうちにベストセラーにまでなったのでしょう。
Netflix版『三体』から啓蒙書『沈黙の春』へ。このような「求めずして思わぬ発見をする現象、(あるいは能力)」のことを「セレンディピティ(serendipity)」と言います。もしあなたに、本屋の棚で思いがけず面白そうな本を見つけ、つい買ってしまった経験があるなら、それもセレンディピティです。
■効率性とセレンディピティ
インターネット黎明期、情報化社会が形となって現れはじめたころから、情報探索の「効率性とセレンディピティ」はよく議論されるテーマでした。つまり、どうしても効率性追求へ傾きがちなところをセレンディピティの側へ押し返す力が、ひょっとしたらWebの仕組みでできるかもしれない、という期待です。
まずそもそも、効率性追求へ傾くと生じるデメリットとは、
「あらゆる情報やサービスを市場で入手しうるようになれば、かつて自らあるものを選び、あるものを捨てていた選択の能力が退化せざるをえないであろう。
(中略)
情報化社会は多様な情報を提供する。しかし、人々の選択する意思が衰弱していれば、情報の豊かさのなかで自己を見失うことにならざるをえない。」
という、効率性偏重が人々の選択の意思自体を弱体化する可能性です。引用は『情報ネットワーク社会(今井賢一)』からですが、この本は1984年に書かれています。
他方、Webの未来に期待を寄せたのは、ベリーピッキングモデルを提示したマーシャ・J・ベイツの論文、「The Design of Browsing and Berrypicking Techniques」です。
情報学者であったベイツは、この論文で、人々の情報探索行動が従来定義されているような単純な形態では決してなくもっと紆余曲折のある複雑なものだとして、「ベリーピッキングモデル」を提唱しました。
それまで情報学の分野で、情報探索者は、明確な情報ニーズを持っており、それに見合う回答を一回の検索で探しあてる、と言われていたのでした。これに対し彼女は、人々は情報探索中に遭遇する個々の情報から次に探索すべき新たなアイディアや方向性を見いだし、その結果クエリ(問い合わせ)が継続的に変化する、それはちょうど、野生のブドウが潅木の間に点在していてまとまって生えているわけではなく、ためにブドウ狩りはあちこちを回遊しながら行われるのに似ている、としたのでした。
・ベリーピッキングモデル
(The creative moment in internet interaction)
(Q=クエリ・問い合わせ、T=思考、E=最終成果物)
この論文が公開されたのが1989年。インターネットはまだまだ、研究者や一部の一般の人々の間でしか話題になっていませんでした。しかし彼女は来るべきWebの未来に思いをはせ、それが「知の世界」への架け橋となるような工夫に期待をよせていたようです。
・関心の外に広がる「知の世界」
(The Design of Browsing and Berrypicking Techniques)
(K=知の世界、I=関心や興味の領域)
残念ながら論文にこの図に関する詳しい論述の展開がありません。
人々の情報探索は関心や興味から始まり、一旦なんらかの成果を得てそこで終わります。しかし、それら関心・興味の外に広がる「知の世界」に気づいてもらうことが、われわれの情報生活や社会を豊かにする上で、より大事になってくるという想いが、そして期待が、彼女にあった、それがこの図の挿入に及んだ理由だろうと推測されます。関心・興味の横にそっと「知」への扉を置く、Web上の工夫が求められているのです。
■Google、SNSそしてChatGPT
21世紀も四半世紀が過ぎ、いまやインターネットはスマホの中に収まり、日常生活の一部となった世界をわたしたちは生きています。さてそれでは情報探索の「効率性とセレンディピティ」のバランスはどうなったでしょう。
Googleは広告を主要な収入源としており、検索の「効率性」向上に必死になっています。おかげでわたしたちの関心や興味を起点とする情報探索活動は便利になってきました。さらに2010年代に入るとSNSが大きな影響力を持ち出しました。ここではフィルタリングバブルが、いよいよ私たちを、自身の関心や興味の世界に閉じ込めようとします。つまり検索で情報探索をする行動そのものが、時間消費のなかで後ろに追いやられ始めたのです。そしてここにChatGPT。
2023年はChatGPTが俄然注目され、ChatGPTを動かしている人工知能(AI)が、検索をパスしようとするトレンドを加速させています。
ますます必要な、Web版「棚の力」。
■ベリーピッキングモデルとebookpedia
私はベイツの考えに共鳴して、自分なりにメルマガを始めたり、ブログ・ちえのたねを主宰したりしています。が、所詮個人サイトの活動で、効能はしれています(かつコロナ禍で活動は一旦頓挫)。ところが、ebookpediaは日本電子出版協会(JEPA)という、団体のコンテンツ。SEO的に個人サイトよりは優位な位置にいます。加えて、辞書カテゴリのコンテンツは検索結果の上位にきやすいことが体感されます(おかげさまで、JEPAサイトへの流入トラフックの4割をしめています(2024年3月))。ベイツのWebへの期待の、ほんのわずかでも、ebookpedia起点で実現できないものかと夢想をしたのですが、第一期当時は志果たせずでした。
今回の「JEPA委員会に入ろう!第5回(広報委員会)」を機に、どこか他サイトとの連携などでの「知」への扉を置く工夫に結びつけられないか、密かに淡い夢をみているところです。
「本の楽しみは、わたしの場合、本屋にゆく楽しみであり、本屋は、そこにゆくまで思ってもいなかった本に遭遇する場所だった。(長田 弘|「さがしもの」『最後の詩集』所収)」
神宮司信也(特別個人会員・詩想舎代表)のリンク
●めるまが・知恵クリップ:
・学習・教育のデジタル化(配信部数1778部|2024年4月)
・デジタル化するメディアと知の生態系(配信部数2008部|2024年4月)
・再編成されるLIFE(生活/生命/人生)(配信部数2022部|2024年4月)
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