どうにか2021年を迎えることができた。「無事に迎えた」と言いたいところだが、とてもそうは言えない年明けである。実のところ、我々人類が棲む地球は満身創痍だ。これまでに新型コロナウイルスに世界中の約8,500万人が感染し、約185万人の命が奪われた(1月4日現在)。そして今も終息の兆しは見えない。家から出ること自体が感染拡大につながるため、感染者が少ない日本でも「Stay Home」や「自粛」が推奨される。働く環境も様変わりし、在宅勤務などのテレワークがすっかり浸透した。
この状況の中で、地球規模で大活躍しているのが「電子」である。活動が大きく制限される中で、人々の生活や業務が成り立っているのは、電子による情報伝達があるから、と言って良いだろう。言うまでもないが電子を介する限り、どんなに社会と関わりを持っても感染の危険はゼロだ。AmazonやUber Eatsにより生活必需品や食料が宅配されるが、これができるのも電子を用いたEコマース(電子商取引)があればこそだ。その支払いに電子マネーやクレジットカードは不可欠だが、リアル店舗での支払いにおいても、感染防止のために電子を用いた手法が一気に拡大した。
また、在宅勤務に無くてはならないのがWeb会議システムだ。私もこの9カ月、毎日のようにZOOMやTEAMSを活用しており、出勤していても感染防止の観点からこの方法で会議を行っている。世間では会議だけでなく、対面が当然とされてきた就職の面接、営業担当者の着任挨拶、株主総会、習い事、飲み会、果ては婚活までWeb方式で行われており、もはやこの方式で不可能な集まりはないとさえ思えてくる。結果、ZOOMやTEAMSの利用者はコロナ禍前の10倍程に増加したそうだ。これまで行政が消極的だった医師によるオンライン診療も、コロナ禍を機に院内感染を防ぐ目的で厚労省が規制を大幅に緩和し、病気の種類を問わず医師の判断で初診から利用できるようになった。
当協会会員が長年サービスを展開してきた電子出版の分野でも、電子書籍、電子図書館、学術文献データベースなど、全てのサービスにおいてアクセスが倍増している。一時、リアル書店や公共図書館が閉鎖され、大学の授業もオンラインとなったが、電子資料であれば感染の恐れもなく24時間利用可能で、巣ごもりに最適だ。施設などへの販売においても、これまでは説明に苦慮したものが、先方からいきなり契約を申し込まれることが多くなったそうだ。過去においてこれほど短期間に電子出版の需要が急伸したことはない。皮肉な結果だが、電子出版にとってはこのピンチがチャンスになったようだ。新型コロナウイルスは人類に大きな痛みを与えているが、電子はその痛みを大幅に軽減させる、救世主の役割を果たしていると言っても過言ではないと思う。
だが、ここまで社会全体がどっぷりと「電子」に浸かっている様をみると、ある程度、電子の能力と限界をわきまえる私としては、「本当にこれで大丈夫だろうか」とやや不安になる。正直言って、電子はそれほど堅牢ではないのだ。プログラムにはバグによる動作不良は付き物だし、常に不心得者によるハッキング(クラッキング)やフィッシングの危険にさらされている。リアルな世界におけるウイルスと同様に、甚大な被害をもたらすコンピュータウイルスも存在する。
また、進化し続けることの宿命として、法律やモラルは常に後追いで未整備だ。映画「2001年宇宙の旅」に登場した、意志を持ったコンピュータ「HAL 9000」による反乱はSF上の物語としても、ある日突然、コンピュータが止まる、あるいは異常をきたす要因はいくらでもある。実際に大手都市銀のオンラインシステムもダウンしたし、個人情報の大規模な漏洩は大手が管理するサイトでも度々起きている。既に電子は社会のあらゆる所に深く入り込んでいるため、ひとたび何らかの原因で電子の動きが止まれば、「不便」で済む話ではなく、経済活動の停止も十分に考えられ、社会生活に生じる弊害はこのコロナ禍以上かも知れない。
とはいえ、今更、電子に依存しない生活に戻すことはできないし、戻すべきでもないだろう。今回のコロナ禍で電子の活用が一気に加速したが、今後もこの加速度を維持するべきだ。それにより新型コロナウイルス終息後の社会においても、電子はもっと有益なものになるだろう。であるなら電子の脆弱性は改善しなくてはならないだろう。ここまで電子への依存が進むと、事が起きてからでは手遅れともなるからだ。
3.11の大災害の際に指摘された「想定外を想定内とする」ことや冗長性(良い意味の)の確保も不可避となるだろう。1,000年に一度の出来事が明日起こるかも知れないからだ。そこまでの堅牢さを実現するとコストに直結するため、あえて電子には求めてこなかったように思うが、期待される役割のステージが上がった今、それは必要条件となるように思う。電子に関わる一員としては、嬉しいような辛いような複雑な気持ちだが、やるしかないのだろう。それが人々にとって必要だから。