再び、デジタル教科書の憂鬱

2020.03.02

光村図書出版  黒川 弘一

 2017年2月に「デジタル教科書の憂鬱」という拙文を寄稿させていただいた。そのころは、デジタル教科書・教材を推進してきたものの、ようやく制度化への道を摸索しているころだったので、子供たちの学びにとって本当に良い方向へ進んでほしいという思いで、少々アイロニカルに語らせていただいた。

 あれから3年。デジタル教科書関連法案が成立し、「GIGAスクール構想」が国家プロジェクトとして立ち上がるまでになった。ロードマップも示され、デジタル教科書は2020年度から導入がスタートし、次の改訂教科書が発行される2024年度小学校、2025年度中学校からは「一層の促進」という流れが示されている。目指す方向として、「全ての授業において一人一台環境でデジタル教科書をはじめとするデジタルコンテンツをフルに活用、教師の指導や児童生徒の学びを支援する観点から学習ログを活用(多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、個別最適化された学びの実現)」とある。

 こうした流れは、2000年からこの仕事に従事してきた自分にとって、大きな到達点の一つでもあるはずだ。しかし、やはりいまだに「憂鬱」な気分がつきまとう。今回は様々な期待が萎んでしまう前に、あえていくつか気になることを示しておきたい。

■ハード優先で、教育のビジョンが見えにくい
 当然のことだが、ハード優先の導入である。ソフトは、まずはOS等に付属の無料ソフトの活用が前提で、どんな授業を展開するかは現場任せになっている。ふと10年前のスクールニューディール政策の時、電子黒板等を導入した多くの学校から「デジタル教科書が入ってないのですが~」という問い合わせが来ているという笑えない話を思い出した。各教科において個別最適化を含めた授業デザインをどのようにイメージし構築していくのか、しっかりと検討すべき段階に来ている。

■普及モードと先進モードの混乱
 環境整備を前提とした上で、学校現場において、デジタル教科書・教材を活用する「普及モード」と、AI教材等を活用する「先進モード」が同列で語られている。さらに、学習ログの活用は、学習データの収集・蓄積・解析・フィードバックに関するシステム構築や実証研究は端緒に着いたばかりで、「普及モード」にはまだ時間がかかるものと思われる。両者の展開をしっかりと見極め、フェーズを切って段階的に進めていくべきであろう。一時的なイベント的授業で終わらないようにしたいものだ。

■併用制か、選択制か
 現在の制度では紙の教科書がベースであり、特別支援の場合を除き、有償のデジタル教科書を併用することが前提となっている。しかし、特別支援や外国人児童生徒等への対応も考えると、無償給与を前提とした選択制が可能かどうか、その公共的な意義も含めて議論されるべきである。これは国の教育政策や予算の問題となるが、環境整備が整えば、「紙もデジタルも」の併用制から「紙かデジタルか」の選択制、さらには「紙からデジタルへ」の可能性についても問われていくだろう。

■標準化の行方
 一人一台での活用を想定したデジタル教科書は、今回初めて本格スタートとなる。その中でデジタル教科書の基盤やビューアは標準化されるべきだという意見は多い。しかし、2020年度発行の多くのデジタル教科書は、標準ブラウザにも対応できるようにHTML5+CSS+JavaScriptのウェブ技術で構成されている。当面はスタンドアロンやサーバー、クラウド等の多様な学校現場の環境に対応できるよう配慮している。 

 また、毎時間授業で使うので、各社のユーザーインターフェイスを統一すべきという議論もある。当然ながら、今後は実践を通して調整は必要になるだろう。ただし、デジタル教科書は、読むことがメインの電子書籍とは異なり、授業や学習での活用が前提となるアクティブなコンテンツであり、また、教科により求められる機能や操作が異なることが多い。また、標準化を問う場合、デジタル教科書のみならず、数多あるデジタル教材への適応も必要とされる。これはかなり困難な調整が伴うだろう。関連する業界等の積極的かつ持続的な議論を期待したい。

 乗り越えるべき課題は尽きないが、2024~25年以降の子どもたちの目は青い鳥を追い求めて輝いているだろうか。デジタル教科書の憂鬱はまだ続きそうだ。