ぎこちないバトンワーク

2019.06.04

翔泳社  田岡 孝紀

 「編集のバトンパスも上手くやらないと」
 5月に横浜で行われた陸上の世界リレー大会で、日本がバトンパスで違反となり失格し、予選敗退となったというニュースをラジオで聴き、そう思った。
 
 あとで調べてみたら、予選で敗退したのは、男子400メートルリレーで、日本経済新聞によると、「武器としていたバトンパスにまさかの事態が起きた」そうだ。
 
 もともと日本は、バトンワークが巧みで、その強みをいかして、世界大会で実績をあげているにもかかわらず、今回は思いもよらない失敗をしてしまったということらしい。
 
 私が勤めている翔泳社では、編集者となる新入社員は、編集部に配属される前に校閲課で研修を受ける。新卒や第二新卒の場合は半年以上、中途の場合は数か月と期間は異なるが、すべての新人を対象としている。
 
 ゲラや原稿をたくさん読むことを通じて、自社の本を知ってもらうというのが、この試みの最も大きな狙いである。
 
 翔泳社に限ったことではないことを願うが、新人編集者は、いったん配属されると、所属する編集部以外のゲラや原稿はほとんど読むことがない。そのため、自社の本に関して、意外と知らないという傾向があると思う。
 
 それでは視野が狭くなりがちで、自社の強みをいかした企画を立てるのが難しいのではないだろうか。
 
 この育成法であれば、自分たちが積み上げてきたものを次の世代に伝えることができるかもしれない。そうした発想が根底にある。
 
 私たちにとってのバトンパスだ。
 
 取締役のUさんから、新人編集者が校閲課で研修を受けると、とても勉強になると思わない? と聞かれたとき、良いアイデアだと感銘を受けた。校閲課を任されている自分がどういうことができそうか、あれこれ話したのではないかと思う。
 
 電子出版の登場によって、以前に比べて、編集者が学ばなければならないことが加速度的に増え、最近の新人編集者が苦労しているのを目の当たりにしていたからである。
 
 ただ、実際に研修をはじめてみると、教える側としては、自分の力不足が原因で悩むことも少なくない。
 
 なかでも、頭を抱えるのが、言葉にして伝えるのが難しい疑問に答えなければならない場面だ。
 
 「ご自身の文章に強いこだわりのある著者さんの原稿に対しては、どうやって朱字を入れたらいいのでしょうか」といった質問に即答するのって、かなり高度なテクニックを要すると思いませんか。
 
 そんなこともあって、配属先の編集部へと旅立ちした編集者たちのことは、どうしても気になってしまう。
 
 編集会議で発言しているHさんの姿が見えたり、デザイナーと電話で話しているTさんの声が聞こえたりすると、心配で仕方ない。ここは自分で頑張れと声には出さずにエールを送る。
 
 JEPAの活動は、理事会や著作権委員会のミーティングは別にして、業務時間外に行うようにしている。
 
 たしか、昨年の暮れに近い頃だったが、ランチタイムに著作権セミナーの内容を考えていた。実務に役立つ写真やイラストの利用に関する講座を思いつき、関連サイトを調べていたら、当時、隣の席に座っていた、新卒の新入社員が、自分が学生時代に使っていたという無料イラスト素材サイトを教えてくれた。
 
 電子出版に関わる業界の諸先輩に接することが貴重な財産になっているので、JEPAの活動は有意義だと感じている。それでも、締め切りに追われているときなど、負担に感じることがないといえば嘘になる。
 
 だから、ゆとり世代と呼ばれて育ってきた新人に、お昼休みの時間に手伝ってもらっていいものかと思う反面、調べる内容は楽しいし、これも勉強になるのではないかという気持ちもあり、半信半疑で気にかかっていた。
 
 数か月後、その企画は、『JEPA著作権実務者セミナー この写真・イラスト、無料?有料? AI時代の権利処理』として実現し、開催の告知をしたら、2日間で百人を超える申し込みがあり、大きな反響を呼んだ。
 
 セミナー当日、司会を務めるため、マイクのサウンドチェックをしながら、満席の会場を見渡すと、“元”新卒の新入社員、Kさんが受付の手続きをしている。
 
 ぎこちないバトンワークかもしれないけれど、編集のリレーはいつか完走できるのではないかと、ふと思った。