ボーダレスの時代

2014.11.10

自由電子出版  長谷川 秀記

 国境は崩壊した。ベルリンの壁は衛星放送が崩 壊させたとよく言われるが、今はインターネットがより本格的に国境を崩壊させている。ジャスミン革命はケータイ動画とユーチューブとアルジャジーラの衛星 放送が引き起こした。イスラム国もインターネットを利用して世界中から戦士を募集しているようだ。中国の国境防衛最前線はインターネット上にあると言える。
 情報における 国境の崩壊は歴史の流れであり止めることなどできない。電子出版にとっても事情は同じだ。たしかに消費税問題では困ったことが発生しているが、適切な対応 で何とか不都合を克服できると思う。国境の崩壊は情報を統制したい側にとっては困ったことだが、庶民にとっては恩恵もある。何より情報は自由であるべき だ。
 しかし国境が崩壊すると黒船がやってくるのである。怖い黒船をお台場から砲撃して撃沈させることは可能だろうか。
 ひと時代前、電子書店の立ち上げ期にも同じような「騒ぎ」があった。詳しくは『電子書籍クロニクル』を読んでもらいたいが、コンピュータ会社出身の電子書店の登場に出版社が危機意識を抱いたという話である。
 これもひとつの「黒船騒ぎ」だったわけだ。敵が海外ではなく国内のコンピュータ屋さんだったところが違う。しかし出版界にとっては資本力で戦いにならない相手が突然自分の領域に現れたという点で今と同じように脅威と感じたのだ。
 そしてその時の対応策がとても評価に値する。つまり出版社が出版社の領域を守るために自ら電子出版に乗り出すという選択だ。同じ思いの出版社が集まり、必 ず月に数点だけでも電子書籍を作ることを盟約する。その売り場も作る。当時のことだ、利益が出るわけではない。社内的に必要性が認知された仕事ではなかっ ただろう。まさに盟約だ。こうやって電子書籍は蓄積され続け、今の電子書籍の基礎を強く固めることになる。
 対応策としては法律などの制度で守ろうとか、著者に対してIT系に協力しないよう要望をするなどもあり得たかも知れない。実際に版面権など出版社の権利問 題はその後大きくクローズアップされた。しかし評価に値するのは自ら外の世界に飛び込んだことである。もとよりコンテンツの電子化はIT業界より出版社に 向いている世界だ。出版社が自ら電子化を進めることで、IT業界と出版社の協力関係も成立していった。
 さて今回の黒船騒ぎはまだ終わっていない。「黒船」の名称に現れているように日本とアメリカの巨大企業との戦いの様相だ。日本の情報世界がアメリカ企業の 軍門に下ったらどうするのか! ことは情報の安全保障問題だ! と叫ぶ人もいる。安全保障だから防衛力を強化なのだろうか。
 技術面で言えば黒船騒ぎは、XMDFやドットブックという国産のフォーマットとePubという欧米のフォーマットの戦いのような様相を一時示した。たしか に国内の出版社はXMDFやドットブックでコンテンツを蓄積してきたわけで、突然mobiとかePubとか言われても困る。
 ならばオープンな国際標準という世界に逆らって鎖国してガラパゴスを謳歌しようか。でもそんなことに意味があるとも思えない。アメリカの巨大電子書店が日本で電子書店をやるのにXMDFやドットブックがはたして非関税障壁になるだろうか。技術は中立なものだ。ここは国際標準を謳い、オープンかつフリーで運営されている側の勝利だろう。JEPAが日本語組版の最少要件をまとめIDPFに提案し、ePub3で実現したのは素晴らしいことだったと改めて思う。
 肝心なことは日本の出版界が技術の世界会議に着席することなのだ。当時JEPAは綱渡りで席を確保できたのだが、今では一部の会社の努力によって日本からも何人かが参加するような体制が実現できつつある。これをまず強化しなければならない。
 相手は名だたるIT企業とBig5と呼ばれる大出版コングリマリット。会社が大きければ規格策定に人員を割くことも可能になる。かたや日本は中小出版社の集団だ。一人割くことも困難だろう。
 そこで大手を中心に具体的な代表の人員を確保すると同時に、後方支援体制を充実させる必要がある。技術も出版も知る人材は日本の出版界には豊富に存在しているのだから。
 後方支援は十分にできるはずだ。後方支援を充実させるとしてまだ壁がある。それは言語の壁だ。国際会議では当然のように英語が公用語になる。規格書のドラフトも当然英語なのだ。ネットで行われる会議も英語だ。
 ある時JEPAの委員会でIDPFの新しい動きに対応しようと規格の要求仕様を検討したことがある。その時は分量もさほど多くはなく、海外の日本語に通じた協力者の助力もあり要望をIDPFに届けることができた。
 そして規格が出来上がった。まずその分量に茫然とする。これはとうてい我々の英語力では翻訳不可能ではないか。
 根本的には英語力を高めるという政策が必要なのだろうが、今現在の後方支援体制確立には間に合わない。だから知恵を絞ろう。
 まず「技術も出版も知っていて英語もできる人」はぜひ世界に出よう。ほとんどの会議はネット上で行われるので旅費は不要だ。
 そしてそれらの人を後方支援する「技術も出版も知っているが英語はどうもという人材」に必要なのは翻訳された規格書だ。  注目される規格書やそのドラフト、会議の内容をスピーディーに翻訳するシステムが作れないものだろうか。電子書籍だけの問題ではないだろう。ボーダレスの 世の中で国際規約の重みは増すばかりだ。
 注目される規格書のドラフトが日本語で提供できれば、世界に出られる人数の数十倍の豊富な人材が検討に参加でき、 高いレベルの要望や解決策をまとめることができるのだ。
 国際会議で活躍する人材だけではなく、その後方支援体制を作る。これは費用最小で日本が世界の国際標準をけん引できる政策ではないか。黒船を自分で運転してしまうという策なのだが、どんなものだろうか。
 もうひとつの問題がある。企業力の差だ。これには国内が一致団結することが必要だ。別に独占禁止法に違反してトラストを結べと言っているのではない。その逆を提案したい。
 たとえばDRMは電子書店の顧客囲い込みの道具と化しているが、当然のようにこれは大きな企業になればなるほど有利に働くモデルだと思う。
 この動きに対抗するなら本棚の共通化という手段がある。本棚が共通化すればいろいろな電子書店で買い物をして自分の本棚が何本もできる余計な苦労から解放される。紙の本なら小さな町の本屋でも欲しい本と出合ったら何の心配もなく購入できる。それと同じことだ。
 巨大書店の顧客独占に対抗するなら共通DRMなどという奇手もあるかも知れない。そうなると共通本棚内の串刺し全文検索という便利なツールも実現可能になる。
 もちろん相手の巨大企業がこの動きに参加してもそれはそれで構わない(もちろん拒否すれば独占禁止法違反になる)。しかしそこでは黒船は黒船ではなく顧客独占と異なる手法で競争する相手となってくる。
 DRMによる顧客独占政策がなくなればお客は気ままに電子書店を訪問できる。値引きやセールは大きいだろうが、独自の品揃えやきめこまかい顧客サービス・商品の提案など日本のリアル書店で培ったノウハウが大きな力を持ってくるのではと思う。
 何といっても読者は書店が好きなのだ。リアル書店のように店頭の平台から順に書店を徘徊する喜びを与えてくれる電子書店があれば、読者はブラッとお気に入りの店を訪れてくれるだろう。
 顧客独占とビッグデータ分析による利便性に対抗するには、正面勝負だけではない、「もうひとつの手法」の追及が必要で、読者は必ずそれに応えてくれると信じている。