背表紙の記憶

2013.10.01

有斐閣  鈴木 道典

 近頃といってもつい最近のことですが、電車の中で読む本は、ほとんどKindle paperwhiteで読んでいます。といってもここしばらくは、「鬼平犯科帳」を行き帰りにずっと読み続けているのですが。これは23巻プラス<番外編>で計24冊。ようやく22巻まで来てそろそろ別の本に移れそうです。
 朝は武蔵小金井から三鷹まで中央線、三鷹から乗り入れている東西線で九段下まで行きます。このうち三鷹からは始発を待って座っていきます。この32分間(並んで待っている時間をいれるともう少し)が、Kindleでの読書時間。帰りも九段下から座れることが多いため、三鷹までの時間が読書時間になります。電車での読書が計1時間。これに夜寝る前の読書と、朝風呂に入ってお湯に浸かっている間が読書時間。この夜と朝の読書時間は電子書籍というわけにはいかず、ベッドでは文庫本、風呂では上製の単行本を読むことが多い。夜の文庫本は、仰向けに寝て読みながら寝入ってしまい、顔の上に本が落ちてくることがしばしばあるため、重い本は避けるようにしました。朝の風呂での読書は、お風呂の蓋の上にタオルを敷いて、その上に本を置いて読むので、重い本でもOKです。
 電子書籍は、字の大きさが変えられ、何巻にもなる小説も続けて読め、大変重宝です。しかし、よく読む(使う)「野の花散歩図鑑」「野の花散歩図鑑 木の実と紅葉」「葉形花色でひける木の名前がわかる事典」など、本来持ち歩いて使いたい本は軽いKindle pwで持ち運びができればいいのですが、現在はKindle pwがカラーでないので、残念です(当然電子化されていないのでしょう)。電子ペーパーなので、もしカラーになっても自然な色はなかなか出だせないでしょうが。
 電子書籍を読むときに困っているのが、“蔵書”の視認性の悪さです。一画面に6冊分しか出ない。これは大変困ります。だいたいどこのアプリのマイ本棚でも、雑誌のディスプレイみたいに本の正面カバーを見せています。Kindle pwでは、リスト表示に切り替えることはできますが、何の変哲もない本の名前だけになるし、それでもページ当たりは少ないのです(変えられるかも)。 なぜ、リスト表示ではいけないか。見えるからいいではないかという声も聞こえて来そう。でもダメなのです。
 先日書斎の本棚が満杯になり、新しい本の置き場所がなくなって、ついに本を処分することにしました(でも売りません。本好きの人に選んでもらって、残りは資源回収に出します。新古書的な売買は、著作権者に何らの見返りがなく、よろしくないと考えるからです)。
 とたんに困ったのが、「背表紙の記憶」。正確には「背表紙を見ることでよみがえる本の内容の記憶」ですが、これが当然なくなるのです。たとえば、藤堂昭保「女へんの漢字」(角川文庫)、金田一春彦「ことばの歳時記」(新潮文庫)、岩満重孝「百魚歳時記」(中公文庫)などは、少しきわどい蘊蓄や季節の話題になり、酒席での話題の提供に便利なものです。こうした本は何度も読んでいるので、背表紙を見るだけで内容がよみがえります。ほかにも様々な本の内容が背表紙でよみがえるのですが、本を処分すると内容を思い出すきっかけがなくなって、よみがえらないのはもちろん、当然、記憶の曖昧な部分をちょっと読み返して思い出すこともできません。
 本棚に本があるときは、背表紙がそれぞれ異なって見えます。本は当然背表紙の装丁もそれなりに個性があります。文庫本でもカバーの絵が違うため、背表紙の色もそれぞれ異なり、どの辺にあったか探すのにとても便利です。でも電子書籍の読書アプリは表紙を見せるのが主流。これは,一度に見える量が少なすぎる。リスト表示にしても、全く同じ字形の文字で同じ大きさで並んでいて、本の個性は全く無視です。これが視認性の悪さです。だいたい自分の本棚にある本を面陳している人はいないでしょう、少なくとも全部は。本棚に背表紙が見えるように差し込む、これが普通です。これで本を探しやすいし、もう一度読まなくても背表紙を見ることで内容をよみがえらせることができます。
 電子書店もみな「面陳」です。画面を相当くくらないと本が探せない。目的があって検索し、それを探し出す場合は大きな問題ではない。でも本に出会うこととは違います。リアルの書店では、売れ筋の本では面陳しています。でもそんなに探しにくくない。また、出会いもあります。それは、ちょうど視線が届く範囲と高さとを計算した陳列をしているからでしょう。こうした広い空間での面陳と、PCやKindleあるいはスマホでの画面での面陳とを同じように考えないでほしいのです。ぜひ客の好みで「背表紙を見せる、必要に応じて(タップしたとき)表紙画像が出てくる」、そんな売り方にして欲しいし、マイ本棚もそれができるようにして欲しいものです。これは、電子書籍を売る側が、出版社に背表紙画像の納付を義務づければできることでしょう。
 もう一つ、新しい電子書籍の商売の提案(思いつき程度ですが)です。一年ほど前に自炊用のスキャナーを買いました。しかし、全然蔵書の自炊に使っていません。時間がなく、本を破壊してスキャンすることができないのです。立場上、自炊業者に出すわけには行きません。そしてついに置き場所がなくなって、捨てるハメになってしまいました。たぶん置いてあればもう一度読みたい本、ちょっと読み返して言い回しを思い出したい本もあるでしょう。思い出すきっかけがなくなってそれもできなくて、後でやはり困ることになりそうです。 こんな人は自分だけではないと思います。
 こんな人のために、「すでに読んだ本の背表紙画像」を売る仕組みがあれば、迷わず蔵書を処分できます。処分した本の背表紙を買う。実際には、背表紙画像を購入してマイ本棚で見えるようにするわけです。そして、処分した本をもう一度読む必要がある人のために、この背表紙をタップして、電子書籍のレンタルをリクエストできる仕組みとします。期間を細かく区切ったレンタルシステムを持った会員制のサービスの提供と連動させるのです。この電子書籍レンタルを前提にすれば、背表紙画像は、無償で配布してもいいですね。
 住宅事情から本をたくさんは置けない人もいるし、「だんだん目が悪くなって、大きな活字で読まないと読みにくい。昔の本を引っ張り出して読み返しても昔の本は字が小さくて……」という向きもおられるでしょう。手に入りにくい書籍なら処分する本を譲り受けて(もちろん著作権者の許諾を受けて)電子化して、レンタルシステムに投入することもできるでしょう。画像のPDFファイルでの電子化なら、近時は費用がずいぶん下がりました。背表紙画像の販売(配布)と、電子書籍を買うよりは安いリーズナブルな価格のレンタルシステムとの併用なら、いい商売にならないかなぁ。