「タブレット」とデジタル教育法
2013.07.01
JEPA 事務局 三瓶 徹
タブレットで集中力が続かない子供たちの興味を引き付けることはできるが、タブレットで子供のICTスキルが向上すると勘違いしている方々がいるらしい。昔から教育の基本は、読み書きソロバンだ。パソコンのキーボードを触らないで仕事はできない。どうせキーボードを使うなら、子供の時から使わせたらよい。小学校入学前の普通の子供でも興味を持たせれば多くの漢字が読めるようになる。漢字の手書きの勉強に加え、かな漢字変換も早い時期に教えた方がよい効果が得られるかもしれない。
先日、湯河原に住んでいるらしい外国人の親子が東海道に乗っていた。子供は小学生3、4年の女の子で手にはタブレットを持っていた。日英のバイリンガルで、時々、日本語になったり、英語になったりしながら父親と話しているが、「この車両はWiFiが使えないわ」「じゃあJRに投書したら」「宿題はパソコンで書いて、お父さんのプリンタに送ったのだけど、紙が無かったから、今日中に補充しておいて」と話している。
パソコンを買い与えるだけで神童が育つわけではないが、TEDスーパープレゼンテーションで有名な12歳の子供、アドーラ・スヴィタクは6歳の時にWordの入ったパソコンを買ってもらい、12歳の今迄に300篇以上の短編を書いて、何百という学校で講演し、何千という教育者を前に基調講演をしてきた。
学校でICT機器やソフトを駆使して勉強させるのは、ICT活用力を養うためだけではない。デジタル教科書には、紙の教科書には出来ない能力がある筈だ。創造力、表現力、コミュニケーション力、プロジェクト力を養い、情報の洪水に翻弄されず、自分の頭で思考して学んでいくような習慣を、高校卒業までには身に着けられるようなデジタル教科書ならぬ、デジタル教育法が出てくるのだろう。
企業が変わり、大学も国際競争力を求められ、大学入試も変わり、高校の授業も変わり、中学校も小学校も変わる。その中で、教科書出版社や、学術出版社も変わろうとしている。そして生き残れる出版社は、その荒波を乗り越えた出版社だけになるのだろう。そんな厳しい話は聞きたく無いのだが。