著作権(公衆送信権)許諾の事後承認制度はできないだろうか?
2011.04.01
有斐閣 鈴木 道典
私事にわたって恐縮だが、今年に入って近隣の大学の先生と食事をする機会があって話が弾み、大学時代の恩師である故・尾吹善人先生のエッセイ集に話が及んだ。このため後日買い集めて楽しく読ませてもらった。「憲法徒然草」(三嶺書房・1983年)、「憲法学者の大あくび」(東京法経学院出版・1988年)、「憲法学者の空手チョップ」(東京法経学院出版・1991年)、「寝ても覚めても憲法学者」(ファラオ企画・1992年)の4冊である。このうち、憲法徒然草は、雑誌の編集をしていたときに、三嶺書房さんから書評用にお送りいただいたものを持っていたが、他の3冊は古本をインターネットで探して購入した。2冊は古い本でもあり安く手に入ったが、1冊は元の定価の4倍もの価格であったがほかになかったのでその価格で購入せざるを得なかった。稀少価値から価格が高いのは理解しないでもないが、私は稀覯本を集める趣味はないので、なにか不当に高い買い物をさせられた気がしないでもない。しかもこの場合、著者(の相続人)には全く印税は支払われない。
出版資産の電子化の仕事をしていると、いかに著作権者との連絡が取れないかが身に沁みる。ジュリストという雑誌を例にとると、1952年の創刊・毎月2回の刊行で1400号を超えている。掲載論文数は、4万余件、執筆者は1万2千人にも及ぶ。このうち6割以上が連絡が取れない。実用法律雑誌を銘打っているため、その時々の法律実務に精通した方を執筆者にお願いすることが多い。そうなると必然的に中央官庁の立法に携わる実務者や様々な関係実務者が筆者になる。書籍を出版して重版をしているときは、印税をお支払いするため著作者と連絡を取り続けるが、そうでない場合、出版社は、著作権者とその後の連絡を取る必然性がない。ジュリストという雑誌の場合は原稿料の方式であり、記事を書いていただいて掲載誌をお送りし,原稿料をお支払いするまででお付き合いが終わってしまう執筆者が大勢いるのだ。
連絡が取れない著作権者の論文は、公衆送信の許諾が取れないため、電子復刻版に収録することができない。時代をさかのぼるほど、「読めない論文」が増えることになる。ジュリスト創刊の1952年は現代立法の黎明期でもあり、その後も重要法令の立法時の論点やエピソードが豊富なのだが、これを掲載できないのだ。
尾吹善人先生も著作権者との連絡が取れない方々の一人だ。有斐閣から書籍の出版もあるし、判例百選シリーズというムックにも執筆いただいているが、書籍は絶版して久しく、ムックは原稿料であるため、お亡くなりになったあと印税を支払う機会もなく、相続人の住所も不明である。
「著作権者が不明な場合等の裁定制度」はある。しかし何千人を対象とした「相当な努力」は、その内容を読むと絶望的な作業を強いるものと思える。まず電子化を許し、事業展開をした上で、著作権者からの情報を募り、収益金の一部をきちんと供託することで著作権者の利益を担保するような合理的な制度ができないのだろうか。そうすれば、電子書籍として誰でも手軽に読めるようになり、不当とも思える価格が横行することもなくなると思うのだが。
とは思いつつ、現状では地道に「相当な努力」をし続けるしかない。わかってはいるが愚痴の一つも言いたくなるこの頃である。