組織された情報を保持すること

2010.05.01

翔泳社  清水 隆

 編集という仕事は一定の方針や規則のもとに情報を組織することだと思っている。たとえば、鉄道の本を作るのなら全国の鉄道なのか、関東地方なのか、小田急線だけなのか、といったことを決める。読者はどういう人なのかを考えて、文体や専門知識の度合いなども決めていく。紙を使った冊子になるのか、電子書籍になるのか、ウェブ上のコンテンツになるのか……メディアは別の問題として、情報の深度や粒度を整えてまとめたコンテンツを世に出すのがパブリッシングということになる。
 電子出版の話題が、「紙の本はもうダメなのか」という話とセットになるのは、紙の本という形で、出版社、流通、書店という市場が成り立っているからにほかならないだろう。出版社にとっては「目の前に迫った危機」と捉えることがあるだろうし、電子化を強力に願う向きからは「古い世界は早く変わるべき」という面から「紙」が取りざたされることになる。
 たしかに、出版市場はこの十年以上にわたってマイナス成長を続けている。しかし、携帯電話も加えた電子書籍と出版物の売上高を比べれば、まだ桁が2つ違っている。これからさまざまな出来事が起きて、既存の出版市場は縮小するかもしれないが、急になくなってしまうものではない。
 ただ、パブリッシングによって世に出されたコンテンツをどう保持していくかは、今から考えておいてもいいのかもしれない。ウェブ上には多くのコンテンツが置かれているが、更新される、消去される、リンクが切れるなど、さまざまな理由によって定常的に参照するのが難しい状態にある。
 たとえば、資料としての紙の雑誌を考えた場合、掲載している広告の量や内容、本文記事などのすべてが、時代を映したタイムカプセルのような役割を果たす。消えた会社の消えた製品も紙の上では残っている。雑誌を資料として見る場合、そのような情報も貴重であることが少なくない。
 雑誌から広告費が移行しているといわれるウェブコンテンツではどうだろうか。多くの場合、ウェブページのバーナーなどから広告主のウェブページへのリンクによって広告が成り立ち、契約期間を過ぎればバーナーは下げられる。たとえリンクが保持されていたとしても、必要がなくなればリンク先の製品ページは削除される。ウェブの情報はダイナミックに変化すると見ることもできるが、時期を区切ってまるごと保存しておくことが難しいともいえる。
 最近は、TwitterやSNSが盛んになる中で、「すべてのメディアはソーシャルメディアに代わるとか」「古いコンテンツはソーシャルメディアが参照する対象になる」という話を聞くと、参照するに足る新しいコンテンツはどのように作り、保持すればいいのかと考えてしまう。未だに多くの電子コンテンツは紙メディアの電子化に頼っているし、新しいコンテンツが電子として作成され再生産する経済的裏付けを持っている例は少ない。一方で、スポンサーモデルでしか電子コンテンツが制作できないようになるのは好もしくないと思う。
 多分、その方策はわれわれが日々行っている仕事やJEPAの活動の場において探っていくしかないのだろう。