三省堂 高野 郁子
辞書は出版のなかでも電子出版への取り組みが進んでいる分野だ。電子辞書が普及し、インターネット、携帯電話の辞書検索サービスは毎日のべでおそらく数千万回は検索されているだろう。わたしは辞書をよくひきますと言う人にどんな辞書を使いますかと質問すると、少し間をおいて「インターネット」「電子辞書」という答えがふつうに返ってくる。アルバイトの大学生にわからない語はどうやって調べますかと問いかけ、Googleで検索してみますと言われてめんくらったのが数年前だった。問いかけた意図は「どの辞書を使いますか」だったのだ。インターネットでなんでも無料で調べるという行動パターンはすっかり定着してしまった。
実は電子辞書とインターネットでは、社会に与える影響もビジネスの仕組みもまったく違う。今の時点で辞書出版社にとってビジネス面の大きな脅威となっているのは電子辞書だが、長い目で見たときの影響はインターネットのほうが大きい。書籍を使うか電子辞書を使うかは選択の問題であり、書籍が唯一の選択肢だった時代と、出版業界とは別業界から強力な競争相手が出現した今とで厳しさが違うのは当然だろう。その競争相手が販売する電子辞書に搭載されるのは辞書出版社が提供した辞書データであり、競争相手が同時に新たな収入源になるという入り組んだ構図となっている。しかし電子辞書を引いて読むのは書籍辞書と同じ記述内容で、電子辞書を引くのも書籍の辞書を引くのも行動パターンは同じである。
インターネットはもっと本質的な変化を引き起こす。ネットの世界で人びとは書籍以外から情報を得る手段と、書籍を出版しなくても自由に情報を発信する手段を獲得した。ネットは出版社の介在なしに情報が多くの人びとの間を行き来する場所となり、だれもが自由にアクセスして使うことができる。ネットを介して人びとは同等の条件・立場でつながり、もっている情報をやりとりする。
そのようなインターネットの世界で、出版社はどういう立場になるのだろうか。考えてみてもなかなか答えが見つからない。
ハード面についていえば、ユーザーはもっと読みやすい画面、使いやすい操作をもとめ、いずれそのような課題はクリアされていくだろう。開発に時間がかかるにしても技術的な解決は不可能ではないと思う。
いま電子出版の世界から発信しなければならないのは、これまでと異なる行動パターンを身に着けたユーザーにとって魅力ある提案だ。電子書籍の分野ではケータイ小説やケータイ漫画がひとつの答えになりつつある。
では、早い時期から電子出版の取り組みを進めてきた辞書の新しい提案とはなんだろうか。発想の原点を使う側にとっての魅力において考えたい。辞書を使う人に大切なのは新しい「辞書」であって、出版社がこれまでどおり存続するかどうかではない。ユーザーが提案に魅力を感じて選択することが、電子出版の辞書の可能性につながるような、そんな提案をしていきたい。次世代の辞書の形をてさぐりで探し続ける毎日である。