ネットの不思議

2001.01.01

徳間書店  三浦 厚志

 インターネットという言葉を初めて知ったのは、確か1993年の秋であった。 本当ならスゴイ話だと思ったものである。日頃、業務や趣味にそのスゴイ話を享受 しているが、実生活での面でも最近感激したことがある。
 毎年11月から、庭木の枝にミカンやリンゴを差したり、アワやヒエそしてヒマワリ の種を専用台に置いている。冬、餌がなくなる野鳥のためのものである。
 ある日、皿の中のヒマワリの種が全部殻だけの状態になっているのを発見した。 しかも物置の大袋の種も大半が同じ状態になっていたのである。犯人はネズミであった。 なぜかというと、その日から我がボロ家の天井裏で運動会が始まったからである。 いろいろ思案し、まずはハンズで2,500円のネズミの嫌う超音波発信機を買って きて設置したが、まったく効果なし。野良猫を捕まえてきて天井裏に放そうか、など とも思ったが、以前に新聞で「栗のイガ」で悩み解決とのことが出ていたのを思い出し、 早速新聞記事DBで検索、経験者の話なので間違いないことを確認、そして「栗のイガ」 を検索したところ、関連するページがあることあること。
 何人かに「手に入りませんか」と発信したところ、全員から返事があり、その中の 山梨県の方にお願いをしてダンボール1箱お送りいただいた。すぐに天井裏に撒き (痛いのなんのって)、また、外の出入り口らしき場所にも置いてみた。初日、2日目 はまだゴトゴト音がしていた(愚妻談)が、ななんと、3日目から音一つしなくなった のである。恐らく、踏んづけたりして退散したのであろう(まだ確信は持てないが)。 インターネットのスゴイ話がイガのスゴイ話になってしまったが、いやー、驚いた。
 スゴイ話としてはこれ以上多言を要しないが、ただ、見ず知らずのまったく無関係の 人に突然お願い事をし、一方赤の他人からの依頼に手間暇かけて応えてくれたという こと、応えてくれるその人情自体は有り得ることで理解するのだが、例えば、言葉に よって通行人に対してとか、栗の産地の電話帳を見て、適当に電話してイガを拾って 送ってくれませんか、等といっても普通は相手にされないはずなのに、その前に 言葉であれ電話であれ、こんな非常識な行動などできるはずもないのに、ネットに おいてはまったく抵抗がなくできたことが実に不思議なのである。ネットとはこういう ものなのだろうか。ちょっと怖い気がしてならないのだが。
 中3の娘が(初めて)パソコンで年賀状を作成するという。宛名も編集するのかと 尋ねたら、そうだと言う。どうやら友達が皆そうしているかららしい。(私的の)宛名 くらい自筆にするのが礼儀であり、品性が問われる問題でもあることを少々きつく話し たところ、渋々了承した。
 ワープロが普及してから、日本人(に限らないが)は文字・文章を書くということを 放棄したと思えるほど書かなくなった。筋肉は使わなければ衰えるというが、幼児期から パソコンに慣れ親しむメリットはあるにせよ、漢字、カタカナ、ひらがな文化の日本人 の頭脳の将来を心配するのは私だけであろうか。
 最後に、最近の気になる言葉から。
 省庁のHPが書き換えられた事件に関して「前・中略―グーテンベルク印刷術の発明 によって、文字情報に権威と普遍的信頼性が与えられたのである。現代までの文字信仰 を支えてきたのは、1度印刷されたら、永遠に同じことを主張し続ける印刷テキストの 存在であった。今回の事件は、<文字>に対する無前提的信頼に大きな疑問符を突き つけるものであった。電子メディアは、表面的には、これまでの印刷文化をより効率的 に推進する形でなぞっているように見えるが、実は、根本的なところでそれを裏切って いるメディアなのではないだろうか。」
― 黒崎政男(東京女子大教授)著 ―「ネット情報の不安定さ」 朝日新聞11月某日夕刊より