私の電子出版10年

2000.05.01

朝日新聞社  大谷 洋平

★ 電子出版の幕開け
 電子出版に関わり始めた頃から切り抜きを始めました。「できるだけ手を抜く」 あるいは「手を抜きたい」というモットーがあるからキチンとは整理しません。 おおざっぱにカッターナイフで切り裂き、それを大学ノートに貼り付けます。 初めのうちは、4紙を見ていましたが、それだけで半日ほどもつぶれてしまいます。 そのうち2紙に落ち着きました。ELという切り抜き専門の会社から、関係のある 記事の切り抜きが毎日送られてくるので、その他の新聞はELに任せておけばいい、 という事情もあります。
 その初期の切り抜きの中に、1986年9月8日付読売の「幕開く電子出版時代 電子 出版という言葉が、ここへきてにわかに関心を集めている。……この12日に40の 出版社が集まって“電子出版協会”が発足する。……」という記事があり、5年後の 91年9月19日付電波新聞の「CD-ROM使う電子出版普及促進 EPWINGコン ソーシアム設立』があります。そして、電子ブックコミッティーが90年1月に発足 しています。
 このころ、91年の半ばから、私の電子出版が始まりました。92年6月18日に現代用語 事典『知恵蔵1992』の電子ブック版を発売しましたが、ほぼ1年前から『知恵蔵』を 電子化する打ち合わせを始めていました。凸版印刷と、社内のニューメディア本部、 当事者の出版局新媒体開発室の3者で、どのようなものに仕上げるかを検討しました。
★ CTSの神話
 『知恵蔵』はCTSで組み版してあるから、データはデジタル化されている。簡単に 作れるよ、と思っていました。ところが、『知恵蔵』は言葉を五十音順に並べた辞書 ではなく、本体の項目のほかに「ニュー・トレンド」だとか欄外の「注」などで構成 された複合体で、CTSから出てくるデータはバラバラの部品。これを整理して順序 よく並べるのにえらく手間どりました。さらに、項目に関連する新聞記事をテキスト で付け加えます。1985年からの新聞記事が「HIASK」と言う名で保存され検索 できるようになっていました。これから該当する記事を抽出します。学生アルバイト を雇って、2カ月かかりました。
 知恵蔵1冊に収容してあるテキストは、400字詰め原稿用紙で約1万枚。これに別冊 付録を加え、さらに新聞記事を入れると、ゆうに600万字を超える量になります。 テキストを整然と並べ、テキスト同士を結びつける作業が連日続きました。 電子ブック規格では、大きな図表や細かい図表を表現するのが難しい。そこで、 図表をテキストに戻し、表組みのような形にして読みとることができるようにしま した。ただ、ひたすら置き換える。これも結構な力業です。
 95年版からは、文化放送の年末恒例の回顧番組「マイクの一年」の提供を受けること にし、報道編、スポーツ編それぞれ30分の放送をテーマ毎に区切って見出しを付け、 それに合わせた写真を入れることにしました。
 『知恵蔵』は毎年11月の発売ですが、最初の電子ブックの発売にはそれから半年以上 もかかりました。この10年ほどの間に、CTSデータがきれいになり、凸版の担当者 との連携ノウハウも蓄積されて、作業は整理されやりやすくなってきています。 時間を詰めて発売を早めてきましたが、今でも書籍版の発売から4カ月はかかります。 CTSで書籍用に組んでから電子ブックを作る、という段取りには限界があります。 書籍とCD-ROMをほぼ同時に発行するためには、編集、入力から組み版にいたる 行程を変えなくてはなりません。XMLもその候補の1つです。
★ 食いつぶされる暇
 3年前からは、イーストの協力を得て「DTONIC」を使ったCD-ROM版の 発行も始めました。この10年、電子ブック作りでスキーに行く暇もなく、CD- ROM作りで桜を見る暇もありません。続いてオンライン用に知恵蔵データを整備、 そうこうしているうちに、書籍版の編集が始まり、その付録に付けるCD-ROMの 制作で夏がすこぶる忙しく、海に行く暇もありません。どっぷりと知恵蔵に浸かり ながら、CD-ROMの『ハイパー京都ガイド』や『民力』を作ったり、ごく最近では 『ジャパン・アルマナック』のPDF版を発行したりして来ました。NECのデジタル ブックを作ったのが、はや懐かしい思い出になろうとしています。
 10年前、CDーROMドライブは1台25万円もする高価なものでした。安くなって 普及すればCDーROMの時代だ、と喧伝されていましたが、パソコンに標準で 組み込まれる今になっても実際には極めて渋い状況でしかありません。インターネット が膨らみ、産業革命以来のIT革命の到来だといわれます。紙の時代の終焉が説かれ ます。しかし、はたして紙に代わる媒体になり得るのでしょうか。
 朝日新聞記事データベースに、例えば「インターネット」とキーワードを入れて 検索すると、1万9600件もの記事がヒットします。その中から重要な記事を数本 あるいは数十本選ぼうと、テキストを読み始めたら大変です。しかし同じ作業を、 切り抜きを使えば比較的やさしくできます。一覧性があり、見出しがあるからです。 数行の記事でも、大きな見出しで一面にあれば、まず候補の1つに挙げるといった 選択ができます。テキストだけのデータベースには、見出しのような属性が付いて いません。
 今のデジタル媒体は、中身を作るにしても読むにしても、まだまだ従来の紙媒体には 及びません。デジタル技術が、文庫本から雑誌、新聞にいたる媒体の特性をカバーし、 携帯性、保存性に優れ、ハードの論理ではなく人の感性を志向した媒体を生み出す ならば、局面はガラリと変わるでしょう。
 JEPAに集うハード、ソフト両者の柔らかい頭脳の交わりに大いに期待したい ものです。