思い入れの固まりのような図鑑を作りたい

1998.03.01

学習研究社(当時)  小山 能尚

 私は、本を作るとき、作ること自体を大いに楽しんできた。一から十まで
口を出し、納得がいかなければすねてしまう。

 図鑑、特に、水の中の生き物を扱う仕事が多く、必要に迫られてカメラを
始めたのが30年前。磯で見られる生物をせっせと撮影し、図鑑の資料とし
た。磯では飽き足りななくり、ついにはスキューバダイビングを始めてしま
った。

 図鑑の資料を採集するには、寒い海に住む生き物は、寒い時期に寒い海で
しか採集できず、反対に暑い海に住む動物は、暑い時期に暑い海でしか採集
できない。したがって、真冬の凍てつく知床の海から、真夏の太陽がぎらぎ
ら照りつける西表まで、潜りに潜り、捕まえた魚やカニは2000種を越え
ている。あまりの寒さにシュノーケルをかみ切ったこともあれば、巨大な
タコにしがみつかれて目の前が真っ暗になったり、遠くのサメの影に冷や汗
をかいたこともある。

 図鑑にはどんな写真が適するか。特徴がはっきりするのは、体の形を資料
画のように整えて、白バックで撮影する標本写真である。こんな当たり前な
事も始めた頃は誰も経験が無い。印刷所と何回も打ち合わせをし、テストを
重ねて得た結論である。モデルになってもらう生き物は、顔立ちが良く、
最も標準的な色と模様を持ち、けがも傷もないものを選ぶ。死ぬと色を変え
るものも多い。採集すると大急ぎで撮影することになる。自分の車を改造し
て、車の中で撮影できるようにしたこともある。麻酔をかけて体色を保った
り、ホルマリンで形を整えることも覚えた。

 めずらしい生き物は我が家の水槽で楽しむ。一時は数個の水槽でモーター
がうなりを上げ、狭い我が家をなおのこと狭くしていた。夜中のストロボが
稲光にまちがえられたこともある。家族のことも忘れ、経費のことも考えず
、無我夢中で突っ走った。よい時代だったからこそ、また、若かったからこ
そできたことであろう。

 一匹一匹、一枚一枚の写真に思い出があり、思い入れがある。写真の印刷
には特に注文が多かった。「この虹色を出してほしい」とか、「カニの脚を
一本補充してほしい」とか、「この細いひげを出してほしい」……である。
いわば印刷屋さん泣かせの典型である。

 今、電子出版を見ると、確かに便利ではある。が、まだまだその表現力は
残念ながら「お粗末」と言わざるを得ない。いつの日か、細い毛が一本ずつ
表現できるようなハードが創られ、各家庭に普及するようになったら、また
、思い入れの固まりのような図鑑を作ってみたい。そのときは、やはり印刷
屋さんを泣かせることになるのだろうか。そんなことを思う毎日である。