電子出版のデスクトップ18

覚えておく技術・忘れる技術


 メソポタミアの粘土板の昔から情報は「時間」や「空間」を超えて伝達されてきた。そのひとつ時間を超えた伝達つまり「記録を残す」ことは情報技術の重要な柱だ。数千年前の哲人のことばも我々は聞くことができ、その知恵を現在に活かすこともできる。こういった文化の伝承は文字や書物に記録を残すという機能があったからだ。
 デジタル時代において「記録を残す」機能はどうなっていくだろうか。デジタル媒体は記録を残すのに適した媒体だという説もある。たしかに紙のように酸化現象も起こらないしコピーによる劣化もない。
 ところが電子出版10年強の歴史の中でさえこれがあやしくなっている。初期の電子出版物の多くは現在読み出すことすらできなくなっている。記録フォーマットの変化やOSの変化でリーダ自体が動かなかったり、CD-ROMそのものが認識されなかったり、うまく動くほうが稀である。これらの原因は技術のあまりにも激しい変化によるものだ。
 仮に技術が安定したとしても、今後は暗号化技術が事態を複雑化していくだろう。世間では電子出版物を暗号化するのが流行りだそうだが、もし鍵を紛失してしまったら、その文書を読むことは古代文字を解読するより困難だ。暗号化とは文書を後世に伝えない技術でもある。
 デジタル化時代における記録のもうひとつの側面は「何を残すか」である。石碑や壁画といったものは別として、人類は記録として多くの場合、巻物や冊子を残し、「図書館」という制度がその機能を担ってきた。現在でもたとえば国立国会図書館は国内で発行されたすべての出版物=紙の本をアーカイブするという機能を持っている。
 この「出版物」の概念が電子出版時代には大きく拡張されてしまう。Webのホームページは現代社会における「出版物」の大きな柱といってよい。数十万の読者がつくWeb小説も最近では登場している。そういった突出したものだけではなく個々のWebページはそれぞれ立派な出版物であり、分野によっては紙の本より影響力を持つものも少なくない。
 ところがこのWeb上の出版物、数が多すぎるのである。ある統計によれば現在世界中にあるWebページ数は21億ページ、これが1日700万ページというスピードで拡大しているそうだ。すでにアーカイブが不可能な量に達している。
 情報の発信が簡単になり、その結果圧倒的量の情報が発信される時代には、もはや情報は消費財となり順次消えて行ってもらわなくては困るともいえる。近い将来にはある種のWeb出版物は選択されアーカイブされることになるだろうが、ほとんどは泡沫(うたかた)のように消えていくことになるだろう。
 紙の本を作ってきた人間から見ると寂しい思いがするのだが、時とともに記録が散逸するのもまた必然だ。
 その昔、焚書で有名な秦の始皇帝は中国全土に石碑を建てた。紙を燃やして記憶を抹消した始皇帝が石という確実な媒体を使うところが面白いが、その石碑でさえ現在では風雨にさらされ磨耗し文字が判読できないと聞く。「忘れる技術」を受け入れることもまた大切なことかもしれない。
 しかし、始皇帝ほどの野望は抱かないまでも、何らかの形で痕跡を残したいと思うのも人間だし、そういう必要性も大きいのである。
 情報技術は空間を超えることにおいて飛躍的な進歩をとげつつある中、情報技術の一方の側面、電子化情報をいかに残すかという技術的課題、制度的課題はもっと追求されて良い課題だろう。



*ある統計 米Cyveillance社が2000710日に発表した「Sizing the Internet」と題するインターネットの大きさを測ったレポート。このページ発表時とURLが異なっていたので、探すのにえらく手間取った。http://www.cyveillance.com/us/newsroom/ pressr/000710.asp
『情報管理』Vol.43 No.7 oct. 2000 より転載

BACKNewsletterのTopに戻る
Homeトップページに戻る