■電子書籍市場の萌芽
電子書籍は、電子出版の一形態です。ファイル化されたコンテンツがインターネットを通じて配信され、専用アプリケーションで閲覧環境が提供されます。パッケージ化されているという点で紙の出版物に近い発行形態でもあることから、電子書籍は、電子出版のなかでもっともその動向が注視されるジャンルのひとつです。
日本では、2000年代半ばから成長著しい携帯電話向けの市場で電子書籍ビジネスの萌芽が見えるようになりました。のちに「ガラパゴスケータイ(ガラケー)」と揶揄される日本独自の規格は、やはり日本独自のケータイ文化を形成していきます。黎明期の電子書籍はそのケータイ文化とともに育っていきました。
米国において、AppleからiPhoneがリリースされたのが2007年。この年は奇しくもAmazonが初代Kindle端末の発売を開始しています。米国の電子書籍ブームはこのころからはじまりますが、インプレスが毎年発表する『電子書籍ビジネス調査報告書』を遡っていくと、2007年度当時の日本国内における電子市場はすでに355億円という規模に膨らみはじめています。そのうち283億円、79.7%がケータイ向けです。これらはNTTドコモ、KDDI/au、ソフトバンクそれぞれの公式サイトで配信されていましたが、2007年9月の段階で公式サイト内の電子書籍配信サイト数は3キャリア合わせて448にもおよびます。前年と比べ、電子コミックサイトが98から204へと飛躍的に伸び、売上もそれを如実に反映していました。同じ2007年度のケータイ向けの電子コミックは229億円、実に市場全体の約64.5%、ケータイ向け電子書籍では約80.9%を占めるほど急成長しているジャンルでした。
■2010年「電子書籍元年」のころ
米国の電子書籍ブームを受け、国内の各種メディアでは2010年ごろから「電子書籍元年」といった見出しが散見されるようになります。背景には、AmazonがKindle2だけでなくiPhone向けにKindleアプリをリリースしたことや、Google Book Search問題が大きく取り沙汰されすでに140万点にも及ぶ書籍の電子化が明らかにされたこと(2009年)、AppleがiPadの製品発表時に電子書籍の取り扱い開始を宣言したこと(2010年)などがあったと考えられます。実際に米国の電子書籍市場も著しい伸長を見せ、2011年には米Amazon.comにおいて、電子書籍の販売部数が紙書籍の販売部数を追い抜いたことが発表されるほどの規模と存在感を示しました。
対して国内では、従来のケータイからスマートフォンへの乗り換えが進んでケータイコンテンツ市場が縮小しはじめる一方で、電子書籍はキャリア依存からなかなか抜け出せずにいました。結果的にスマートフォンやタブレットといった新たなプラットフォームに向けての配信で遅れをとることになり、2011年度の電子書籍市場規模は629億円。インプレス総合研究所が電子書籍市場規模を計測しはじめた2002年度以来、はじめての前年割れ(2010年度の電子書籍市場規模は650億円)という結果になりました。
■“黒船”の来襲を受けて
この頃の米国の電子書籍ブームは、国内の事業者にとって「黒船来襲」という意識に結びついていきます。ファイルのEPUB化が一気に進み、老舗の『パピレス』『eBookJapan』を除けば、本稿執筆の2017年時点での国内電子書籍総合型ストアの多くが、黒船を迎え撃つべくこの時期に立ち上がりました。2010年12月、NTTドコモ『BOOKストア』(現『dブック』)、同じくキャリア系でKDDI『LISMO Book Store』(現『ブックパス』)、ソニーマーケティング『Reader Store』(その後運営会社はソニー・ミュージックエンタテインメントに変更)、紀伊國屋書店『BookWebPlus』(現『ウェブストア』、その後iOS/Android OS向けアプリ『Kinoppy』もリリース)、角川コンテンツゲート(現ブックウォーカー)『BOOK ☆ WALKER』、2011年1月には『honto』(トゥ・ディファクト)、2月に『BookLive!』(BookLive)と、この時期に7つもの主要なプレイヤーが集中的に出揃っています。
実際に外資系事業者による“黒船”が日本に上陸したのは、2012年になってからのことです。楽天資本のため厳密には“黒船”とはいえないものの、カナダに本社を置くkobo『楽天koboイーブックストア』(現『楽天kobo電子書籍ストア』)が7月にオープンしたのを皮切りに、9月には『Google Playブックス』、10月にAmazon『Kindleストア』と国内でのサービス提供がはじまります。Appleの『iBookstore』は翌2013年3月にローンチしています。
こうしたブランドとして一定数認知されている外資系ストアの出店が相次ぎ、またそれを迎え撃つ国内ストアのさまざまな施策とが相俟って、電子書籍市場は好転し、成長していくことになります。2013年にはKindleのTVCMが放映され、一般ユーザーへの認知度も一気に高まりました。
またこのころからスマートフォン向けに『comico』や『マンガボックス』といった無料コミックアプリが爆発的な勢いでダウンロードされ、ケータイコミック隆盛時と同様、コミックに牽引される形で電子書籍市場は右肩上がりで成長しています。
2016年度の電子書籍市場は1,976億円という一大ビジネスになりました。しかしこの市場のうちコミックが1,617億円でコミックが81.3%と変わらず高い比率を占めています。
この数年は医書専門の出版社が共同ではじめた『医書.jp』や、パピレスによる実用書専門書店『犬耳書店』など、特定のジャンルにフィーチャーしたプラットフォームやストアの開設が見られるようになりましたが、文芸・ビジネスといった一般書や専門書など、いわゆる“文字もの”の市場拡大にはまだ時間がかかると思われます。
今や「歩きスマホ」があちこちで注意される時代になり、あらゆるビジネスにおいて一般ユーザーの可処分時間に自社の製品やサービスをどうカットインさせるかが最重要課題となっています。そうしたなかで電子書籍は出版業界にとって戦略上欠かせない役割を担っているといえるはずです。今後どう進化していくのかを引き続き注視していきたいと思います。
◎落合早苗(おちあいさなえ)O2O Book Biz 社長。JEPA電子出版アワード選考委員。