■4つの業界が集まって
1980 年代の終わりソニーの宇喜多部長(当時)が当社を訪れ携帯できる電子辞書端末を開発中だと説明を受けました。パソコン用のCD-ROM 辞書は数年前に発売され、当社もCD-ROM 辞書を出していました。でも電子辞書は普及には程遠く認知もされない状態でした。
数万円の携帯型のプレイヤーで電子辞書が引ける! 当時電子辞書に係わっていた人の全てが大きな期待をこの電子ブックに持ったと思います。
1990 年に電子ブックプレイヤーが登場しました。強力な宣伝などもあり当時とすれば順調な売れ行きだったようです。メーカーもソニーだけではなく、サンヨーとパナソニックが参入し、電子出版に乗り出す出版社も増えました。
とはいうものの実際のビジネスの場面では出版と電気業界の文化の差からさまざまな問題が起りました。メーカーと出版社の契約、流通の問題などなど……。こういったさまざまな問題を出版社とメーカーそして印刷会社と流通の4 者が集まり解決を図っていこうと生まれたのが電子ブックコミッティという仕組みです。
電子ブックコミッティの活動は流通、制作、ソフトウェア、ハードなどの委員会活動と月に一度の開催される幹事会で運営されていました。製品仕様に対する意見から共同での販売促進、電子ブック規約の改良などなど多くの課題が山積されていました。
何しろ電子出版の経験者などどこにもいなかったのです。すべてが新たに考え結論を出さなくてはならない問題でした。会議は喧々諤々大もめになることも少なくなかったのですが、個々の議案は不思議に記憶に残っていません。きっと現在では当たり前になった慣行や手法について議論をしていたからだろうと思います。
■人の輪と夢は継続中
幹事会は電子出版協会の会議室で行なわれ私も毎回出席していました。でも幹事会の思い出より幹事会の後、飯田橋のどんなお店に行ったかのほうをよく覚えています。
とても不謹慎な言い方を許してもらえれば電子ブックコミッティの主要活動はこの毎月必ず開かれるこの飲み会だったのではと思っています。そこでは電子出版の夢が語られ、本音による議論がありました。そして年に1 回程度行なわれた泊りがけの合宿。とても濃密な人間関係がここで形成されていったのです。
代表の西川さん(当時岩波書店辞典部長・故人)がある時、飲み会の会場を予約しながら、これが一番大切な用事なんだよねと冗談のように言われたのを覚えています。
大の酒好きだった西川さんでしたが、この飲み会を本気で一番大切な活動と位置づけていたのではないだろうかと思っています。
この毎月無礼講作戦は大いに成功しました。何度も小さな軋轢が起こりました。でも無事に乗り越え、業界を越えた電子出版のルールが敷かれていったのです。コミッティ代表幹事として西川さんのご苦労はいかほどのものだったかと思います。この稿を借りて故人のご冥福をお祈り申し上げます。
電子ブックコミッティが解散してから8 年が経ちました。時代はCD-ROM 辞書から半導体辞書へ移り、一般に広く普及した商品へと育ちました。大型家電店や書店の電子辞書コーナーの賑わいを見ると感慨深いものがあります。
電子ブックコミッティは電子辞書普及の尖兵として大きな役割を果たしましたが同時にもっと大きな成果を生んだと考えています。それは日本の電子出版を支える大きな人間の輪を作り上げたことでしょう。多くのコミッティ出身者が現在も電子出版の先端を引っ張っています。飯田橋の酒場で語られた夢の実現は現在も継続中なのです。
◎長谷川秀記(はせがわひでき)自由国民社からJEPA に参加。元JEPA 会長・故人