農文協と電子出版協会を結んでくれたのは、どなたでもなく新聞記事です。電子出版協会の発足を報道した記事に「会長は三修社社長の前田完治」とありました。早速、前田さんに電話しました。私は前田さんとはそれまで全く面識はありませんでした。
当社の社名を告げ、いきなり「入会させて下さい」とお願いしたところ「どうぞ」の二つ返事がお答えでした。入会手続をとり、会合に出席させていただくようになったら、前田さんのお声がかりで役員になり、総務委員長をお引き受けすることになりました。その後二十年あまり、ずっと総務委員長を務め続けています。
協会には電子出版に関わる各種の専門委員会や運営委員会・広報委員会等がありました。協会は運営の実務は専任の事務局長があたり、その下に事務局員がおりました。その事務局業務に関わる事項を担当する委員会が総務委員会でした。電算技術についての能力のない私を総務委員長に指名されたのは前田会長の誠に適確な人事でした。
前田会長が予測したわけではないでしょうが、協会はスタートの頃はたびたび経営ピンチに遭遇しました。経営ピンチには電算技術能力では対応できません。必要なのは経営能力です。永年、出版経営で鍛えられた私の経営能力を活かした財務処理能力で三回あった経営ピンチを解決してきました。経営ピンチをどなたにも認識していただけると思うのは、協会事務所の移転の多さです。こんなに頻繁に事務所を移転している団体は電子出版協会以外に知りません。事務所移転は経営ピンチの表徴でした。
平成10 年に「株式会社 電子出版情報センター」を立ち上げています。会員社および役員個人にお願いして出資を募り立ち上げました。電子出版協会の経営事務を担当する株式会社を設立したのです。株式会社ですから厳密な採算を基本にして電子出版協会の経営を代行するようになり、経営ピンチは克服されました。事務所の設定運用の合理化、事務職員の合理化が根本です。
その後、電子出版協会に経営ピンチはなくなりました。この十年極めて安定しています。今年、株主に出資金を全額返済し「株式会社 電子出版情報センター」を解散し、電子出版協会は設立時と同じように事務局長とそのスタッフによって運営されることになりました。「JEPA のあゆみ」刊行と一致したのは誠におめでたいことです。
◎坂本尚(さかもとたかし)長年にわたって総務委員長を務めた。農山漁村文化協会・故人